【退院日から】さいごに【出産振り返り】

産後5日目くらいに、夫が初めての面会に来た。
夫の体調が回復&解熱したことを確認して、病院にOKをもらった。
おそらく個室&時間制限があったから、夫の面会の許可が出たんだと思う。
夫が初めて赤ちゃんを見たときの、あの顔は一生忘れないと思う。
今まで見たことのない目の輝きをしている夫。
高まる鼓動とグッと体温が上がる緊張感が見ているこちらにまで伝わってきた。
大事そうに、でもぎこちなく、助産師さんに教わりながら抱っこをしていた。
子どもを産んで良かったと思った。
退院の前日に、産後の内診をしたときは、出産時の痛みの記憶が鮮明に思い出されて、足が震えた。
傷の経過や悪露も順調なようで、無事に私は産後1週間程で退院となった。
出産は尊いもの、素晴らしいもの。
それは、そう思う。
でも私は出産を振り返ると、地獄の時間だった。
逃げられないし、いっそのこと・・・と何度も思った。
実際死にかけたし。
この世のものとは思えない激痛。
あんな痛み。
こんなに医療が発達している現代で、人類が体験してはいけない痛み。
しかし、産後数か月がたった今、私はあの痛みを忘れかけている。
そして、また出産しても良いかな、と思っている。
自分の記憶をつかさどる脳の領域、ちゃんと仕事してくれ。
産後はしばらく股が痛く、産後半年を過ぎる頃にもときどきビリビリッとした痛みがあった。
健診では異常なしだったので、傷が回復する過程の痛みだったんだと思う。
授乳で胸がパンパンだし、
便秘だし、痔だし、
尿漏れだし、
姿勢は悪くなるし、
体重はなかなか落ちないし、
腰は痛いし、
体中の骨は痛いし、
腹は痛いし、
膀胱炎だし、
頭痛はするし、
出血は続くし、
手首は腱鞘炎だし、
足はむくむし、
筋肉は落ちるし、
体中が乾燥して皮膚がポロポロするし、
ずっと寝不足だし、
悪夢ばかり見るし、
疲れやすいし、
メンタルはボロボロ、
抜け毛とくせ毛が酷いし。
と挙げればキリがないくらい、産後は本当に酷い状態だった。
ずっと服用してた。
それでも産後半年くらいから、徐々に自分の体が戻ってくる感覚があった。
そして、当時の辛さ・苦しみを忘れかけている自分がいる。
こうやって、二人目、三人目と出産をする人がいるんだろうな、と思う。
私は実母が亡くなっていて、出産や育児のことを気軽に聞ける人がいなかった。
だから、ネットで情報を調べたり、入院中には助産師さんからできるだけ知識や技術を教わった。
出産時は予想外のことが次々と起きて、全然思い通りにはいかなかった。
でも、このネット社会。
必要なものはネットで注文しておき、家族への連絡も24時間いつでもできる。
なんとかなる。
もちろん、あれを用意しておけば・・・
事前にこれをやっておけば・・・
と今になって思うことは沢山ある。
落ち着いたころに、
万が一、また出産する機会が訪れたときに思い出せるように、
必須グッズをまとめて残しておきたいと思っているけど、
なんせ 時 間 が 足 り な い!!
小さな子どもを育てながら、
ブログやインスタを更新する人、本当に尊敬。
そして、ここまでこのブログを読んでくださった方、ありがとうございました!
【41W2D】出産後も地獄は続く【出産レポ】
吸引分娩で赤ちゃんは生まれた。
しかし、ここから私の地獄ステージ2が始まる。
出産後は胎盤が出る。
が、私は出産時の痛みのあまり、胎盤がいつ出たのか分からなかった。
しかし、おそらく胎盤が出たであろうと思われるタイミングで、私は大量出血をしていたらしかった。
医師が私の股に腕を入れて止血している。
ずっと腕を入れている。
出産を終えた放心状態ながらも、私は冷静だった。
出産前にコウノドリなど、医療ドラマをたくさん見て予習していたからだ。
出産前には20人近くいた人が10人前後に減ってきているのはわかったが、あいかわらず助産師さんはせわしなく動いている。
私は自分の股からどれだけの出血があるのか、全く分からなかった。
しかし、医師が「これは久々にヤバイな・・・」と小声で話しているのを聞き逃さなかった。
要は出血が止まらなかったらしい。
「輸血を!」「採血のオーダーを!」「緊急〇〇を!」
なにやら皆が慌てている。走っている。
医療ドラマでよく聞く単語が飛びかっている。
ああ、私、ヤバイ状態なんだ・・・。
たしかドラマでは、出産時の大量出血で妊婦さん亡くなってたよな。
もしかして、私も、同じ・・・?
と意識が遠のく・・・
わけではなく、私はやはり冷静だった。
処置をしている医師が、定期的に私の名前を呼ぶ。
「○○さーん! 大丈夫ですかー?」
あ、これ、意識が遠のいていったらアウトなやつだ。
救命ドラマでよく見るやつ!
私は大量出血しながらも、
「大丈夫ですよー!ちょっと放心状態でー!」
と元気に答え、自分の気持ちや体調を実況中継したりした。
でも体がとても疲れていたので、のんびりと天井を見ていた。
胎児がドゥルン!と生まれた反動で、私の産道はボロボロになったらしい。
世にいう「産道裂傷」というもの。
会陰切開は出口の入り口をチョキンとして縫い縫いするもの。
産道裂傷はその奥のトンネルをざっくざっく縫うもの。
私はなかなか深い傷だったらしい。(あとから知った)
医師がずっと縫っていた。股を。体感1時間くらい。
縫う前に麻酔をかけてくれたような記憶があるが、医師がなにか手を動かすたびに、私はずっと陣痛と同じレベルの悲鳴を上げていた。
処置に長い時間がかかったものの、その日は輸血されることはなかった。
なにかしらの点滴はされていた。
その後、私が散々な状態だったため、カンガルーケアはできなかった。
私の処置のあとに少しだけ赤ちゃんを部屋に連れてきてくれた。
一緒に写真を撮ったり、手を握ったり。
写真は助産師さんが撮ってくれた。
産後は母子同室となる予定だったが、私は体を休ませるために、母子同室ができたのは出産から3日後だった。
出産の翌日、自力で排泄ができなかったので、尿道カテーテルが入れられた。
少し痛かった。
結局、出血は3,000ミリリットルくらいあったらしい。
え、3リットルって(笑)
よく死ななかったなー私。と数字を見るたびに思う。
通常は500ミリで多いねー、とかいうレベルらしい。
結局、出産日の翌日か、翌々日に輸血をした。
採血で貧血の数値を確認しながら。
今まで何度か献血に行っていたけど、自分が輸血を受ける身になって初めて献血の大切さを知った。
また、輸血経験ができたことで、私がこの先献血をすることはできなくなった。
献血ルームの快適さが好きだったけど、今はもう懐かしい思い出になってしまった。
入院時には満室と言われていたはずの個室。
しかし、出産後の私のあまりの重症っぷりに、産後2日目にはすぐに個室が用意された。
入院時には「できれば個室がいいかなー。大部屋も個室もどっちも見てみたいし♪」とのんきに呟いていた、あの日の私。
まさか、こんな状態で個室に移ることになるとは。
貧血で歩けなくなっていた私は車いすを押してもらい、尿パックをぶら下げながら、分娩室から個室へと移動した。
初めての車いす。病棟の廊下ですれ違った人はほとんどいないのに、少し恥ずかしかった。
出産後は円座クッションが必須になった。
入院中はベッドの上でも、寝ているときでも、ずっとそこに座っていた。
病院の貸出用のものは木の枠にしっかりとした合皮が縫い付けられた頑丈なもの。
重さもあったけど、そのしっかりとした形とかたさに、私の股は守られた。
それにプラスして、あまりの傷の深さにずっとロキソニンを処方してもらっていた。
それでも痛みが引かないときは、プラスしてカロナールも処方してもらい、時間をずらしながら飲んでいた。
それでも家族や親戚は生まれたての新生児に会いに面会に来たいわけで。
面会時間は制限時間が設定されていたのが逆に良かった。私の体調的に。
退院時には夫が迎えに来てくれたのだが、あろうことか円座クッションを忘れたらしく。
私は股の痛みで、車のシートに普通に座ることができなかった。
車内のいたるところを握り、空気椅子状態で尻をシートにつけないように耐えた。
家にあった円座クッションは以前たまたま腰痛用に買ったもの。
病院のしっかりした円座クッションとは違い、やわらかすぎたけど、ないよりはマシだった。
産後1か月くらいはずっと円座クッションは必須で、産後の健診でも病院に持参した。
結局3か月くらいは使っていた。
円座クッションは出産後の私の相棒になった。
それなのに、まさか産後1週間の退院日に忘れるなんて。
何度も伝えていたのに、忘れるなんて。
今回の出産では最初から最後まで、夫には一生レベルの恨みを持った。
個室にはトイレがあるのに、しばらくは便も尿もよく漏らしていた。
ちゃんと持って行ったのに、入院中に何度か買い足したくらい私はよく使った。
産後2日目か3日目くらいに、初めてトイレで尿が出せたので、カテーテルを外してもらった。爽快だった。
また恐怖だった排便も、飲み続けていた酸化マグネシウムのおかげで、産後3日目くらいに案外するっと出た。こちらももちろん爽快だった。
というか、意外だった。もっと痛みがあると思っていたのに。
健康的な病院食や、ロキソニンのおかげかもしれないけど。
一応産後に「トイレに行って縫った傷口が開いたりしないですよね?」と産後あるあるの質問を看護師さんにしてしまった。
大丈夫なのはわかっている。
でも医療のプロからの「大丈夫ですよ」の一言が欲しかったのだ。
便意や尿意がだんだんと自覚できるようになってきても、股周りの筋肉はあまり機能してくれなかった。
退院後も、しばらくは便を漏らして大泣き。尿を漏らして大泣き。
苦しくて、悔しくて。
赤ちゃんも母もオムツ生活。
今思えば笑い話にできるけど、当時は自分の体が思い通りにならなくて、泣いてばかりいた。
退院後も、私は尿も便も垂れ流しの状態だった。
しかし、そんな中でも新生児を見るために、さまざまな人が我が家を訪れた。主に夫の関係者だった。
来客対応は夫がしていたが、来客があるのに、私もずっと寝室にいられるわけでもなく。
やはり夫には一生ものの恨みを抱いた。
あとは母乳について。
母乳推進の病院だったので、否応なしに母乳育児が始まる、と覚悟はしていた。
しかし、あまりの出血の多さに、混合育児となった。
母乳も出たのだが、分泌が軌道に乗りはじめたのは産後3日目くらい。
それでも頻回授乳は母体への負担が大きいと判断され、3時間ごとに授乳とオムツ交換のために個室にコットを持ってきてもらった。
入院中は母乳マッサージという激痛マッサージを何度か受けた。
しかし、今思えばこの激痛マッサージで乳管が通り、退院後も継続的に母乳を出せた。
最初から混合育児だったためか、乳腺炎などのトラブルも少なかった。
また、とにかく貧血対策に毎日2リットルくらいは水分を取った。
病棟の自販機に何度も通った。
水、麦茶、緑茶。
産後すぐは助産師さんに買いに行ってもらった。
【41W2D】陣痛促進剤2日目【出産レポ】
昨日に引き続き、今日も朝から陣痛促進剤。
陣痛室という個室で一夜を過ごした私。
シャワーもトイレもソファも洗面所もあり、とても快適。
ナースステーションも近く、夜間もときどき巡回に来てくれた。
夜間の症状は、継続的な張り&痛み。
でも、促進剤は入れていないので、昨日のような強い痛みはなく、普通に眠れた。
朝になって助産師さんにアドバイスをもらう。
付き添いがだれもいないので、私の話し相手は助産師さん。
とにかく出産への恐怖を和らげたかった。
・1時間ごとにトイレに行くこと
・靴下を履いて温めること
・リラックスすること
なるほど。
私は忘れないように、持ってきたメモ帳にメモした。
入院していると、たくさんの指示や案内がある。
でもお腹の痛みのせいなのか、まったく記憶できない。
私は自分の頭の中を整理するためにも、
「聞いたことをメモする」
という行為で冷静を保っていた。
6時 シャワー。
6時40分 NST開始。
赤ちゃん、もう少し下がってきてほしい位置。まだ位置が高いそう。
破水をしているため、感染症確認のために採血。
8時 医師の診察。
若い先生だった。(病棟はたくさん先生がいて、顔も名前も覚えられない)
「今日中に産みましょう!」とのこと。
子宮口は昨日と変わらず。
開き方が縦だか横だか、なにかがすごい状態らしい。
かわるがわる複数の助産師さんの内診。
私はどうにでもなれ~♪状態なので、とくに抵抗なし。
9時になってポジティブ助産師Eさんが上がりの時間に。
元気でハキハキとしているEさん。
昨日からたくさん元気をもらいました。
(結局Eさんと会うのはこの日が最後だった)
朝ごはん完食! うまい。 便が出ますように。
食事&診察後、点滴開始。
8時30分 排便。
全然臭くない。さすが病院食。これで全力で出産に挑める。
その後、弱い陣痛の波が来る。
昼間はまだ乗り越えられる痛み。呼吸法で乗り切る。
あとはテニスボール。
貸し出し用のものを借り、ベッドに正座して、ボールを自分の尻の下にセット。
自分の体重で、ボール越しに肛門を押す。
自分の足のかかとでも肛門を押してみたりもした。
助産師さんに肛門を押してもらうより、自分で圧迫した方が痛くなかった。
あとは座ったり、立ったり。
私はベッドで寝て過ごすより、体を動かしていたほうが痛みはまぎれた。
赤ちゃんが降りてくるように、ひたすら祈りながら。
私が動くとお腹のNSTがズレて、エラー音が鳴ってしまう。
そのたびに助産師さんが来てくれるんだけど、これなんとかならないものか。
さらに、赤ちゃんも元気に動いているので、余計にエラー音が。
12時 昼食。
陣痛の合間にご飯を食べる。もちろん完食。
食べ終わったあと、尿と一緒に大量の破水。
ベッドの上で(笑)
昨日からずっと下半身に力がかかっているので、もう股周辺の筋肉が操れず。
ナースコールをして、ベッドを汚してしまったことを謝る。
しかし、ここは陣痛室。
陣痛室のベッドは普通の病室のベッドと違い、表面は防水仕様のツルツル。
あっという間に、綺麗に片づけてくれた。
しかし、私のおもらしのせいで、履いていた産褥ショーツがだめに。
産褥ショーツなんて大して使わないと思っていたから、2枚しか持ってきておらず。
結局、持ってきていた通常のショーツを履く。
ちなみに洗濯はしていない、昨日か一昨日に履いていたもの(笑)
洗濯は付き添いの夫か、自分で洗濯室に行こうと思っていたから。
まさか、2日間も出産に時間がかかるとは思ってなかったから。
夕方にさしかかったくらい、
腰にビリビリという痛みが起こる。
骨盤を広げているような、人生で初めての痛み。
急な激痛にびっくり。陣痛の痛みとは比にならないレベル。
このくらいから、あまりの痛みに声が漏れるようになる。
人生で一番大きな声が出ていたと思う。
また、ずっとゆるめのウンチも出ていたと思う。
なにやら助産師さんがずっと拭いてくれていたから。
朝に排便があったのに(笑)
しかし、陣痛の感覚が短くなってくるも、なかなか胎児が良い位置に来ていないようだった。
すさまじい痛みに襲われるなか、いろいろな助産師さんが内診をしていく。
もう痛すぎて、気にしていられない。
早くこの時間から解放してくれ、この地獄から、はやく、はやく。
痛みの合間には会話ができる。
水分を取ったり、呼吸を整えたりした。
さすがにスマホは触れなかった。
声が出るような痛みが始まって、30分?1時間?が経過。
私の疲労はピークに近づいていた。
あいかわらず、痛みのたびに悲鳴のような大声を出して。
気付けば私の部屋には医師や助産師さんが集まってきており、10名以上が集結していた。その人数に驚いた。
「ちょっと(胎児の)回転が・・・」
「もう限界だよね」「そろそろ出そうか」という会話がされていたと思う。
その後、会陰切開がされた。
もちろん全然痛くなかった。陣痛の痛みの方が数万倍痛くて。
結果、吸引分娩になった。
ゴムチューブのついた吸引カップを、お腹の胎児の頭に装着。
私の横には、男性医師が脚立に乗ってスタンバイ。
私のお腹を押す係だ。
外来でお世話になっていた先生だったので、
「あ、先生。いつもお世話になっています。」
と言った。心の中で。陣痛の合間に。
そんな、のんきな発言ができる雰囲気ではなかったから。
部屋の中にはさらに人が集まる。
医師「次の陣痛が来たら、いきむよー!痛くなったら教えてー!産むよー!」
え?もう産むの?次の波で?
痛みを感じたら言えばいいの?
私ちゃんと言えるかな?
あれ、痛みの始まりってどんなだったっけ?
あれ?これ?あれ?
痛みで叫びながらも脳内はパニック。
1回目のいきみではタイミングが合わず、私が叫んだだけだった。
あー やっちゃったー。
こんなに大勢の人の手を煩わせてー。私ったら。
みんな忙しいんだから、早く胎児を出さなきゃ!
みんな私の陣痛を待ってる!
早く次の波こ~~~い!
おー きたきたきたきた!
やっぱ、いってーーーーーーーー!!!
私「痛み、来ました・・・ッ!」
医師&助産師さんたち
「(息を)吸ってーー、吐いてーーー!止めてーーー!!いきんでーーー!!!」
お腹押し係の先生がお腹を大プッシュ!
次の瞬間、胎児がドゥルルルルン!!!
出たーーーーー。
私はこの胎児が産道を一気にかけぬけた感覚を今でも鮮明に覚えている。
陣痛の痛みは忘れかけているけど。
本当に不思議な感覚だった。
自分の内臓が一気に抜け落ちた感じ。
ホニャーーーー!(泣き声)
少し経ってから泣き声が聞こえて一安心。
私のとなりのコットで小児科の医師が診察をしてくれていた。
聴診器をつけたり、少し羊水を飲んだ(?)とかでなにかチューブを口に入れていたような気がする。
その後赤ちゃんは綺麗にするためにいったん部屋の外に連れていかれた。
18時 出産。
しかし、私の地獄はまだ終わらなかった。
【41W1D】陣痛促進剤1日目【出産レポ】
結論から言うと、陣痛促進剤1日目では産まれなかった。
6時 シャワー。
(陣痛促進剤は朝から入れるので、その前にシャワーを入るか選べた)
7時 採血・点滴のためのルートを取る。
(針を刺すときだけの痛み)
7時20分 NSTを30分つける。
胎動は激しかった。
昨日に続き、おしるしが少し。
足の付け根がシクシク痛む。
8時50分 破水&内診。
上位破水のようで、尿漏れのような、ぬるま湯がチョロッとした感覚。
子宮口も開いてきており、無事にラミナリアの処置は回避。
9時15分 促進剤スタート。
何分おきかで、看護師さんが促進剤を増量しに来る。
11時 だんだんと規則的な痛みが出てくる。
差し込むような痛み。
切れ味の悪いナイフでグイッと刺されるような痛み。
呼吸が止まるような、全身に力が入るような痛み。
午後(時間不明) あまりの痛みにナースコール&内診。
大部屋から分娩室に移動となる。
しかし子宮口4センチ。
赤ちゃんの位置がまだ高い。
とにかく呼吸法で乗り切るが、結局夕方になってもお産は進まず、今日は中止。
その日は分娩室で休み、翌朝から再び陣痛誘発をすることに。
【41W0D】明日から陣痛促進剤スタート【夫はインフルエンザだった】
無事に入院手続きを済ませ、病棟へ上がる。
私の他に2人の妊婦さんが入院するようで、みんな揃って入院にあたっての説明を受ける。面会ルームやシャワーの位置など。
他の妊婦さんはもちろん旦那さんが荷物のカートを押していて、臨月の妊婦さんを支えながら歩いていた。
私はもちろん一人だった。
病棟を案内してくれた看護師さんが「一人なの!?」と驚いていたので、私は苦笑いをしながら事情を説明した。
入院後は、医師からの出産に関しての説明がある。
本来ならば、夫が同伴して説明を聞く予定だったが、高熱のため病院へは入れないので、急遽父親を呼び出した。
仕事の合間に来てくれ、書類にサインをしてくれた。
説明内容は、帝王切開になるかも、輸血するかも、転倒などに気をつけてほしい、出産時の合併症がどうとか、生まれた後の赤ちゃんのスクリーニング検査がどうとか。
若い先生だったが、終始丁寧に説明してくれ、その後父親は帰っていった。
病棟に上がってから体重を測ったら、さらに+1キロになっていた。
内診をしてもらい、子宮口は3センチで変わりなし。
陣痛促進剤を始めるのは明日の朝から。
その時点で子宮口が4センチ開いていていれば、子宮口を広げるための処置(ラミナリア?)をしなくていいらしい。
このラミナリアの処置がすごく痛い、という事前情報を得ていた私。どうにか、陣痛促進剤だけでいけることを願った。
ちなみに病院に行って検査を受けた夫。
インフルエンザだと判明。
そのことを看護師さんに話すと、立ち合い出産は不可。
症状があるうちは病院に入れないのはもちろんのこと、最低でも解熱後5日間は面会不可。
私たち夫婦の入院中に赤ちゃん用品を揃えよう、という計画は台無し。
私は病院のベッドから怒りのメッセージを一通り送って、その後は出産に集中したかったので夫との連絡は絶ち。
最後に頼れるのは自分。
とにかく元気に出産してやる、というマインドに切り替えた。
明日からが正念場。
「今日はゆっくり休んでくださいね」という看護師さんの言葉。
(優しくて元気でハキハキと働く看護師さんたち)
栄養バランスの取れた病院食。
(おいしくないと聞いてたけど、私にとっては十分だった)
静かな大部屋。
(個室は満室だった)
なんだ、病院生活も悪くないじゃん~♪
と、この時点ではのんきに過ごしていた。
しかし穏やかな夜はこの日が最後だった。
【41W0D】夫が発熱【入院1日目】
おしるしがあった朝。
その日は入院日だった。午後に夫の送迎で病院に行く予定だった。
しかし、事件は起きた。
夫が発熱したのだ。
季節は冬。
入院する病院からも感染症に十分に気をつけるように、と指導を受けていた。
夫の様子を見ると、あきらかに顔色が悪い。
朝の時点で39度近い高熱。
コロナか、インフルか。
私は以前コロナウイルスに感染しながら個室で出産した、という体験記を読んでいた。
しかし、幸い私は発熱していなかった。
また、インフルエンザの予防接種は産婦人科のすすめで、すでに済ませていた。
一方の夫は、忙しい&お金がかかる、という理由で受けていなかった。
夫の発熱を知ってからマスクを着け、なんとなく隔離させてもらいながら過ごした。
また、朝一番に病院に電話を入れた。
電話を受けた看護師さんが「上の者と相談します」と言って電話を切った数分後、
夫は病院には入れないけど、車での送迎まではセーフ、とのこと。
荷物が多かったので、正直タクシーでは行きたくなかった。
夫も体調不良ながらも、運転はできるとのことで、ゆっくり病院に向かってもらった。
もちろん行きの車内では終始無言だった。
私は
「なんでこんな大事なときに体調崩すんだよ」
「だからあれほど予防接種を受けろと言ったのに」
「いつもこうだ」
と苛立ちが止まらなかった。
しかし、病人に言えるわけもなく。
口を開けば暴言が出てしまいそうで、必要最低限の会話だけをして、大荷物で病院へ入った。
大きなお腹で、病院の貸し出し用ショッピングカートを押し、大きな荷物を3袋程積んで、事務手続きを済ませて病棟に上がった。
【41W0D】おしるし【計画入院当日】
朝におしるしが出た。
当初はおしるしが少量だったら気づかないかも、と思っていたけどちゃんと確認できた。
ついに!
と思ったけど、今日は入院日。
きっと、自然なタイミングを待っていたら、おしるしがあってから2~3日後に陣痛がきて生まれていたんだろうな、と今になって思う。
私が入院するのは総合病院。
昼過ぎに病院へ行き、入院の手続きをしてから、産科病棟に向かう。
【陣痛促進剤を入れて、陣痛が起こるのを待って、子宮口を開いて、子どもを生む】
私がするのはそれだけ。
出産はこわいけど、入院してから産めるのは安心だな、と思ってた。周りはすべて医療関係者だから。なにがあっても、とりあえず安心な環境。
また、夫は立ち合い出産予定。
実母は亡くなっているので、一人で耐え抜くよりも心強い。なにかあったら途中で買い物に行ってもらおう、家族や親戚の連絡係になってもらおう、そう思っていた。
実際あとから聞いたところ、夫側の親戚や知人からの「もう産まれた?」連絡がたくさん来ていたらしい。妊婦側からすると、プレッシャーでしかない。自分ではどうにもできないんだから。
また、夫なりに、出産時のサポート方法について調べてくれているようだった。
出産日は遅れてしまったけど、その分私も夫も赤ちゃんを迎える準備は万端だった。
しかし、何が起こるかわからないのが出産。
次々と起こる予想外のトラブル。
壮絶な出産の幕開けである。